「横のつながりを広げて、音楽で暮らせる土壌を作りたい」インディペンデント・レーベル協議会(ILCJ)会長・古閑裕インタビュー
当会会長を務める古閑裕は、約30年前にKOGA RECORDSを発足したレーベルオーナー。
さらに、KEYTALKなどが所属するマネジメント事務所、2軒のレコーディングスタジオ、飲食店の経営にも携わり、VENUS PETER、ROCKET Kのベーシストとしても活動しています。古閑のこれまでの足跡、ILCJが果たす役割について、話を伺いました。
(取材・文:野本由起)

下北沢の生き証人
──レーベルオーナー、マネジメント事務所社長、ミュージシャンなどさまざまな顔を持つ古閑さんですが、そもそも音楽業界を目指したのはなぜでしょうか。そのきっかけを教えてください。
僕は熊本出身で、大学進学を機に上京したんです。明治大学だったので、明大前に近い下北沢は僕の遊び場。大学でECCE HOMOというバンドを組んで、「ロサンゼルス・アンチノック」(のちの「下北沢屋根裏」、現「下北沢ろくでもない夜」)とか憧れだった「渋谷La.mama」に出たりしてね。
だけど、プロになる気はなかったから、大学卒業後は医薬品・医療機器メーカーに就職して。でも、2年半会社員をやってみたけど、マジで面白くないんですよ(笑)。一度きりの人生、やっぱり好きな事、すなわち音楽をやらなきゃと思って、会社を辞めて新たにバンドを結成したんです。それがVENUS PETERってバンドなんですけど。
──いきなり人気が出ましたよね。
初ライブがVelvet Crushというアメリカのインディ・ギターポップバンドの来日公演のフロント・アクトで、それでいきなり話題になっちゃって。その後、イギリスではインディーロックとダンスミュージックが融合したマッドチェスターというムーブメントが起きてて、僕らは日本でほぼ同時進行でそういう音楽をやってたから、そりゃ目立ちますよね。当時憧れだった雑誌「宝島」でも、話題のバンドとして特集されたりしてね。
そのライブを観に来たインディーズレーベルでありマネジメント事務所でもあるUK.PROJECTのディレクターに気に入られて、1991年にインディーズでアルバムをリリースしたのが音楽活動の第一歩でした。
──そこからレーベルオーナーになるまでの道のりは?
その頃は、UK.PROJECTの給料が月5万円(後に15万円となる)だったかな。僕はお酒が大好きなんですけど、飲む金がない(笑)。それで、知り合いが働いていたアルファレコードというレコード会社で働き始めたんです。UK.PROJECTではインディーズの流れを見てきたけど、アルファレコードではメジャーの音楽流通とかレコーディングについて学びましたね。
ちょうどその当時、イギリスのインディーズレーベルがすごいかっこよかったんですよ。それで、クリエーション・レコーズの創設者アラン・マッギーを真似して、自分でもKOGA RECORDSというレーベルを立ち上げることにしたんです。ド直球のイギリスのサウンドから、パンクやハードコアまで、僕が好きな音楽をショットでリリースするのがかっこいいと思って。当時の下北にはちょうどそんなバンドがいっぱい出てきたし、ドキドキワクワクする日々でしたね。
しかも、まだインディーズレーベルが少なかったので、リリースするといきなり5000枚とか1万枚売れる時代だったんですよ。NUMBER GIRLのインディーズ時代の1stアルバム『SCHOOL GIRL BYE BYE』もうちで再販したんですけど、これまた大変な話題になり売れまくりましたね。僕は売れないと思ってたから「1万枚売れたら土下座します」なんて言ってたので、土下座しなきゃいけなくなっちゃって(笑)。彼らは土下座せずに許してくれましたけど。
そうやって、インディーズレーベルを運営しつつ、アルファレコードで働きつつ、VENUS PETERもやりつつ、3足のわらじで活動してました。しかも夜中は下北で飲み歩いて(笑)。今も変わらずですが。
──下北沢という場所には、なぜそこまで惹かれたのでしょう。
小さくて密集しているのがいいんでしょうね。それに、渋谷や新宿はすでに先輩方がいっぱいいたから、僕らが入る余地がなかった。下北だったら、僕らが主体になってどんどん音楽シーンを作っていけたんですよね。今じゃ下北の生き証人もしくは妖精です(笑)。
──古閑さんは2年半で会社員に飽きたとお話していましたが、音楽業界ではすでに30年以上活動しています。その原動力は?
やっぱり音楽が好きだから。ぶっちゃけ、それしかできないんでね。もう一生音楽、一生下北(笑)。
“売れるもの”ではなく、“好きなもの”を出す
──インディーズレーベルを運営してきた中で、一番印象深い出来事は?
KOGA RECORDSもずっとヒットが続いたわけではなくて、売れない時期も来るわけです。そんな時に、SpecialThanksというバンドに出会ったのは大きかったですね。
名古屋のライブハウス「ハックフィン」の店長から「古閑さんが好きそうなバンドがいるから観に来たほうがいいよ」と言われたので、当時うちの所属アーティストが名古屋でライブをやる時にフロントアクトで出てたんで観に行ったんです。そこで観たSpecialThanksの衝撃ったら……。その日のうちに「うちでリリースさせてください」とオファーしました。
ただ、ヴォーカルのMisakiちゃんはまだ16歳で、お母さんがついてきてて。しかも、お母さんと僕がなんと同い年。それで意気投合して、うちで出させてもらえることになったんです。ついにお母さんと話さなきゃならない時代になったのかといろんな意味で感慨深かったですね。それに、翌週には大手レコード会社も手を挙げてきて。僕が観に行くのが1週間遅かったら、SpecialThanksは大手に行ってたかもしれない。彼らもあれよあれよと1枚目から人気が出て売れていきましたね。
──レーベルオーナーとしての哲学は?
“売れるもの”ではなく、“好きなもの”を出すこと。僕が好きなものは絶対売れるという自負もあります。当然、全部は売れないですけど。
好きな音楽は、おおざっぱに言えばロックなのかな。あとは極端、究極、エクストリームな音楽。極端にポップ、極端にハード、ヘヴィー、極端に速いとか遅いとか極端なものが好きですね。
──最近は、個人でも音楽を配信できる時代になりました。そんな中、インディーズレーベルの存在意義や価値はどこにあると思いますか?
横のつながりじゃないですか? 僕は長年かけてライブハウスやインディーズレーベルとのつながりを培ってきました。それに、メジャーレーベルの人たちとも仲がいいんですよね。多分それがあるから、ILCJの会長をやらせてもらっているんだと思います。
パート2へ続く。。